「とおりゃんせ」発祥の地の天神様(埼玉県川越市)
蔵造りの通りから10分程歩くと本丸御殿がある、その玄関から数十歩の所に木立に囲まれたお社がある。「行きはよいよい帰りは恐い」とわらべ唄で唄われた天神様です。
川越城内にあったため、一般の人の参詣はなかなか難しく、その様子が唄われていると伝えられています。「天神様」とは学問の神様である菅原道真のことで「合格」「必勝祈願」「学業成就」のご利益を授けていただけるといわれています。
三芳野神社は、「とおりゃんせ」発祥の地といわれていますが、なぜ「とおりゃんせ」は生まれたのでしょうか?まずは、とおりゃんせの歌詞を見てください
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
生まれた理由は諸説ありますが、有力な説としては、以下のとおり。
室町時代に入り、太田道灌がこの地周辺に川越城を築城しました。
そのため、三芳野神社は川越城内の中に入ってしまい、一般庶民は普段はお参りすることができなくなりました。
城内は南大手門→田郭門→天神門→三芳野神社(天神さま)までの複雑な細道、門を通るたびに、門番に理由(七つのお祝いに天神さまへお参りに行くなど)を説明し通ります。
帰りは、参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。
そのことから「行きはよいよい、帰りはこわい」と川越城内の子女の間で唄われるようになり、それが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて全国へ広まった。 これが「とおりゃんせ」の歌詞の発祥の地であると言われている。
この記事へのコメントはありません。